風・緑・水・花

ここは、滋賀県高島市。

 

風が緑の中をくぐりぬ抜け、花の香りを連れてくる。

風が川面の上を通り抜け、水の漂いを連れてくる。

 

清水と緑の里は、今から千年以上前の知られざる古の歴史が、そこかしこに垣間見られる、清水と緑に恵まれた静かな里。

ここに住む人々は長い歴史の中で、薬師如来、神変菩薩、文珠舎利菩薩、満福稲荷大明神、子安地蔵堂の温かい加護のもと見守られ、歴史、伝統を受け継ぎながら、そして、寄り添いながら安住の暮らしを続けてきました。

 

この暮らしは、これからもずっと変わらず、連綿と続いていきます…。

  

歩けば、古の神話と受け継ぐひとに出会えるまち  清水と緑の里へ ようこそ


5月。初夏。

勢いよく生長する若草色の麦。

 

収穫は、7月の夏。

 

 

麦。

分類。からだの臓腑(肝・心・脾・肺・腎)の熱を冷ます清熱類~せいねつるい~。

性質。涼性。少し、からだを冷ます。 

 

同じ穀物類。

 

米。

分類。からだの足りない気(エネルギー)を補う補気類~ほきるい~。

性質。平性。冷やしも温めもしない。

 

同じ穀物類でも、食材の効能も性質も全く異なるもの。

 

からだの体質、体調に合わせて、あらゆる食材を使い分ける、薬膳。

 

清水と緑の里。

自分の手で植物の種をまき、自然界の厳しさの中で大切に育て、そして、感謝して収穫する。

 

自然界の厳しい移り変わりの中。

食と農の結びついた、人々のつつましやかに生きる暮らしが、今日も、営まれています。

神話のさと、清水と緑の里 ぶらり歩くまち散歩

【アズミ伝承に関連した、舟の起源説話】

 

 東の国常立尊の玄孫は、島津彦命と名を呼んだ。当時神々に君臨されたのは、天神3代の豊国主尊である。この神は、本宮を湖西の地に営まれて住まわれた。いま、水尾御所(高島市安曇川町)と伝えられるのがその古跡である。

島津彦命は、この神に仕えたいと、ついに川島で住まわれることになる。

 

 ある年、雨雲が暗く垂れこめて長雨が百日あまりも降り続いた。その時、京の西では、山崩れがあり、数知れないほどの朽木が落ち流れた。

 ちょうど、島津彦命は勅を受け、北国へ向かうことになっていた。しかし、また雨雲が暗く垂れこめて大雨が降り、流れは深くいく目当てもたたず、しばらく川の辺りに佇んで考えあぐねていた。

 その時、一羽の黒い鵜の鳥が朽木の上に止まりながら流れ去るのを見た。命は、はじめて川の渡り方に気が付いた。そこで、朽木を取り集め、藤の蔓で結び連ねてこれを筏に組み、また細い木をもってその竿とした。

 それから鵜の鳥をまね、これに乗ってようやく向こう岸へたどりつき、先方へと行き進むことができた。

 したがって、名を略し、筏乗りというのである。【賀茂大明神本土記】から引用 安曇川町史

 

   

【移日金折命】 ~ ウツシヒガナサクノミコト ~ 

古事記に記されたアヅミ氏の祖。

自分は今もって充分な船をが作れずにいる。これまでのことはすべてみな先祖六世九神の大きい功績の結果であると辞退した。

しかし、天照大神は勅して、船魂神(移日金折命)を淡海国あづみの川島に祭らせた。

これがすなわち嘉茂神社にほかならない。 (嘉茂大明神本土記より抜粋)

 

嘉茂大明神本土記の真偽については、いろいろ疑問があるが、火のないところに煙はたたないということも考えると、その内容については、大変意味深いと言えます。

【 仁徳天皇の異母兄弟 速総別命と阿志都弥神社】

 

第15代誉田天皇(応神天皇の死後に贈られた名)は、子だくさんで合わせて26柱の御子がおられました。大雀の命(仁徳天皇)と弟、速総別親王(はやふさわけしんのう)は母違いの兄弟。

速総別親王は、高島水尾の御宮に住居され政務によって、北国を巡狩された時、御船に風が吹いて破損しかかった。

この時、提中安範は、船中に供奉していた。

そこで、安範に加茂船魂神に祈り鎮めさせられると、神明の加護でたちまち風は止み、御船は、恙なく還御した。

そこで、またもや田地百町を寄付された。そこが、今、阿志都弥神社のある所である。【嘉茂大明神本土記より抜粋】

高島の水尾(みお)神社(延喜式内社)の御祭神は、垂仁天皇第10皇子、磐衝別命(いわつくわけのみこと)と、第26代継体天皇御母君、振姫命(ふりひめのみこと)、これに加え、速総別命の名も連ねる。

【湧き水】

地域をゆっくり歩くと、どこからでも聞こえるのが湧き水の音。

 

ここには、1年中、コンコンと地下水がわいています。

悠々と泳ぐ鯉も放流され、清らかな水が保たれております。

 

昔から、この地域は、湧き水とのかかわりが深く、今でも、この湧き水で、野菜を洗ったり、人々の日々の暮らしに水は欠かせないものなのです。

集落内を歩くと、この湧き水を取り込んだ、懐かしいかばたの風景も目にすることができます。

 

【お地蔵さん】

 地蔵堂の横にある、こどものすこやかな健康を守るお地蔵さん。

 

いつもご近所の方のお心配りで、きれいな花が供えられています。

 

この前を通るときは、頭を下げながら手を合わせることもこの地域では、当たり前の習慣です。

いまでは、子どもたちの姿もずいぶん、少なくなりました。

 

 

 

 

【薬師堂】

お薬師さんとぎょうじゃさんがまつられ、地域の方には、大変親しまれ信仰されています。

 薬師如来は、現世での病気やこころの苦しみを取り除いてくださる、悟りを開いた仏様として知られています

 

 3カ月間、当番の方がお薬師さんに、ごはんとお花をお供えされています。

お供えするごはんを持ち運びする上品な木箱も拝見させていただきました。

 3月8日、年に1度だけ、お優しいお顔の薬師如来の立像を拝観することが出来るそうです。

薬師堂の前には、供養塔の石塔が、1基残されています。いつ頃のものかは定かではありませんが、平安時代?

 

【薬師如来像】

「 扉のとこに、菊の紋が彫られてますやろ、格が高いて聞いてます。」

と、当番のご婦人がおっしゃいました。

「お嫁に来たときは、おばあさんから聞いて、お赤飯やおまんじゅうをお供えることもなろてきましたんや」とも。

 

安曇川の大水害で、扉の下部分まで水が押し寄せてきたそうで、そのあとがかすかに扉に残されています。

川の決壊で、この地域はひどい水害にあいました。

それでも、この薬師如来像が、流されなかったのは人々の厚い信仰心からかもしれません。

【神変大菩薩】 ~しんべんだいぼさつ~

ぎょうじゃさんと地域の方には、親しまれています。

神変大菩薩は、役行者の尊称。

役小角(えんのおづの)は、飛鳥時代から奈良時代の術者で、修験道の開祖と言われています。(実在者)

 

634年に現在の奈良県に生まれ、葛城山で山岳修行を行い、熊野の山々で修行を重ねて修験道の基礎を築いたとされている。

いつもは、扉で閉ざされていますが、毎年3月8日の年1回だけ、神変大菩薩を拝観することが出来ます。

きっと勇ましいお姿なのでしょう。

 一度拝見したいものです。

 

 

 

【阿志都弥神社】 ~あしずみ~

旧加茂大明神と称す 明応2年、(1493年)に舟木城主佐々木能登守が社殿を再建したと伝わる。

主祭神:島津彦命 シマズヒコノミコト 

社格 :式内社論社

創建 :不詳

境内社 :太田神社 八幡神社 稲荷神社

社紋 :二葉葵 京都葵祭に見られるように加茂氏の象徴であり、葵紋は、賀茂神社の神紋。

ここにも山城の上・下の賀茂社と同格の古社だということらしい。(賀茂大明神本土記)

 

阿志都弥神社の年間行事 

神社総代の人々により、今もなお神事が堅く守り受け継がれています。

  • 毎月1日 月初め参り
  • 4月9日 本荘宮祭り
  • 5月3日 春大祭
  • 6月4日 お湯献上祭
  • 9月23日 安産祈願祭(御牢開き神事)
  • 11月23日 新嘗祭
  • 1月1日 元旦祭
  • 1月8日 ドンド焼き
  • 2月11日 祈念祭

 

ブログ 阿志都弥神社の祈年祭りと薬膳茶

【御牢開きの神事】 みろうびらき ~ 安産祈願祭 ~

 毎年、秋分の日には、安産祈願祭(御牢開き~みろうびらき~の神事)の儀式が執り行われる。

 この神事は、天皇が行う秋の皇霊祭に合わせて続けられ、滋賀県下では、他には見られないとされている。

 拝殿に青竹を組んで、胎内を模した御牢(約1.2メートル四方、高さ約3メートル)を設置。

 側面に幅約60センチ、高さ約90センチの口がある。巫女が中に入り、鈴を鳴らしながら舞を奉納。短刀で御牢の四隅を切る仕草をすると口が開けられ、外に出て、誕生を表現する

 特定の個人の安産ではなく、国全体の安産を祈願するということが、この神事の神秘さと言える。

 この神事がいつごろからから始まったのかについては、不明である。 【写真は滋賀ガイドさまから借用】

【丸太の刳り舟起源説話】

阿志都弥神社にある刳り舟伝説を彷彿とさせるご神木。

「賀茂大明神本土記より」

 島津彦命の七世の孫は、名を移日金折命という。この神は、ある日、亀が汀を泳いでいくのを見、思いつかれて始めてカメ舟を造られた。

 ときに天照大神がこのカメ舟に乗り、大日本国を行幸して親しく万機の政を執り行われた。

 それで、万民が安穏に生活した。移日金折命はさらに考えを巡らせて巧みに材木の中を刳り、ついに丸太舟とした。これが実に日本最初の舟造りの元祖である。 そこで、称え名を船魂神というのである。さて、川島から西方の山中は朽木谷であり、その谷からの流れを阿志都弥川という。したがって、この神を祭る社を、また、阿志都弥神社というのである。

 

【満福稲荷大明神】~ まんぷくいなりだいみょうじん ~

 

春の大祭では、阿志都弥神社から御神輿が巡行し、この満福稲荷大明神をお旅所とし休憩する。

ここで、お酒やお菓子が参列者にも振舞われ、ここからまた御神輿が区内を巡行するのがしきたり。

 

3月の第2日曜日には、稲荷神社初牛祭が営まれます。

【文珠舎利菩薩】 ~もんじゅしゃりぼさつ~

 文珠舎利菩薩は、大乗仏教の菩薩で知恵を司る仏さまと知られています。 

 智慧と書かれた提灯もにぎやかです。

 横の松の幹が大変太く、相当な樹齢とこの社の歴史を感じさせてくれます。

 

 春の大祭には、お堂の方が、お花や野菜、果物をお供えされ、のぼり旗も立てられ賑やかになります。

 神輿の巡行では、ここが途中休憩所になり、しばらく休憩をとります。

 

 

 

子安地蔵堂】 ~こやすじぞうどう~

子どもを授かると、安産祈願にここを訪れる習わしがあります。

 

春の大祭の日には、この子安地蔵堂の前を、2基の御神輿が通り抜けていきます。

 

 

【鍵取地蔵】 ~かぎとりじぞう~

毎年、8月23日の地蔵盆には、お花やお菓子がお供えされ、地蔵盆が営まれます。

地区の方が順番で当番にあたられ、お参りの方をお迎えされます。

 

春の大祭には、このかきとり地蔵の前を、2基の御神輿が通りぬけていきます。


【阿 志都弥の春の大祭】

例年、深緑の季節、5月3日 午後1時に御神輿(大人、子どもの2基)の巡行があります。

 

ここ阿志都弥神社は、千年以上も前から、この地に住む人々の厚い信仰心で守り継がれてきたのでしょう。

大祭の前日から、総代の古老の方たちは、お社、御神輿の準備、境内もきれいに掃き清めて、当日を迎えてくださいます。

そして、お祭りの前夜には、金色に輝く御神輿が、暗闇の中で、灯篭の灯りとともに一晩中ライトアップされ、煌々と光輝きます。

加茂大明神という由緒ある神社の歴史の深さそのものが、氏子の人々の心の中に、このようにひときわ厚い信仰心として深く根付いていることを改めて感じたものです。

 

大祭の特徴は、御神輿2基の巡行と各堂(薬師堂、文珠舎利菩薩堂、地蔵堂など)のお披露目です。

日頃、閉じた扉が当日には開けられ、きれいなお花やお菓子などもお供えされ、また奉納された旗も立てられ、美しく化粧されたように、とても賑やかな光景です。

地区の古老の話によると、昔は、お堂ごとに赤白の鉾が神社に集まり、御神輿とともに区内を練り歩いたとも言い伝えられています。

(いつ頃までそのような風景がみられたのか分かりません)

その名残で、3月には、今も、堂ごとに区民が集まる風習が残っていて、むかしは、堂に入らないと、お祭りには参加できなかったともお聞きしました。 

 

確実に、高齢化がすすむこの地域も、御神輿巡行にたくさんの子どもや若い男性の姿も都会から戻られ、賑やかな声が地区内に響きわたります。


清水の里の静かな桜スポット

サロンから、歩いて約5分。800メートル続く、散歩コース。

安曇川の清流のせせらぎを聞きながら、ゆったり満開の桜を愛でることができます。

毎年、4月15日前後には、満開を迎えます。

 

この桜並木は平成16年に完成し、毎年地区の方が年2回ほど、草刈りの作業をずっと今も続けてくださっています。

地区の方の労力が、このように立派な桜並木に作りあげたのだと感じます。

 

堤防を上がると、朽木が源流の安曇川の清流が見られ、4月の薫風を受けながらお花見もできる、最高のスポットとなります。

 

ベンチや休憩所もあるので、桜の樹の下で、お花見弁当を食べるのもおすすめです。

 

満開の桜の樹の下お花見会開催しました。

H29.4.16(日)安曇川河川敷にて

お花見メニューは、もちろん薬膳。

 

小豆と桜のおにぎり

くちなしと桜のおにぎり

かぼちゃ白玉団子と小豆のデザート

クコの実、菊花の薬膳茶

高島巡る五香茶

こんなきれいなところがあったなんて、知らなかったわ~と参加者さま。

ちらちらと花びらが、舞って、さらに美味しくいただくことがでいました。

京都ナンバーの車で、ぶらっと立ち寄られた方もたくさんいらっしゃいました。



サロン近郊のスポット  花  ~滋賀県高島市安曇川町~ あどがわ

高島市立安曇川図書館前広場の藤棚

 

ちょっと魅惑的な甘い香りが魅力の藤の花。

頭上から垂れ下がる紫色の藤の花は、ほんとに見事です。

ここは、藤の花のトンネルが少しですが、楽しめるスポット。

 

ここ安曇川町は藤棚が有名で、この近くの藤樹書院の由来も、もともと藤樹先生の藤樹書院に藤の花があったことからつけられたと言われています。

 

5月の初旬,ゴールデンウイークのころに見ごろを迎えます

甘い香りに誘われて、ハチが飛び回っているのでご注意ください。

 

この図書館横の道路わきには、藤棚がいくつも続いているので、そちらも合わせてご覧いただくのがおすすめです。

サロンから車で5分。

 


サロン近郊のスポット 中国式庭園 ~滋賀県高島市安曇川町 あどがわ~

陽明園  ~ようめいえん~

中国の明の時代の哲学者、陽明学の祖、王陽明のふるさとと安曇川町の友好交流を記念して平成4年に、中国建築様式で作られた庭園です。(1368~1661年代の建築様式)

 明の時代といえば、李時珍(りじちん)が、27年の歳月をかけて「本草網目」をまとめた頃です。「本草網目」は、1892種類の薬を網羅し、方剤は11000余りを収載しています。

 

陽明園の見どころは、一つが、庭園内の美しい白壁です。

白壁の上には中国から運ばれた石が使われており、まるで中国の古の時代にいるかのような錯覚さえおこります。

 そして、庭園に使われているすべての材料は、中国から運ばれてきたものと言われています。

また中央の赤い建築は、陽明亭で、中の文様や壁画が明代の時代を彷彿とさせてくれ、訪れる人々を温かく迎えてくれます。

庭園は、入場無料です。 


サロン近郊のスポット  資料館  ~滋賀県高島市安曇川町 あどがわ~

中江藤樹記念館

陽明園のすぐ隣にある、中江藤樹記念館。

中江藤樹先生は、江戸時代の日本の陽明学の祖と言われています。

 

この安曇川町の小川に生まれ、中国の王陽明の陽明学を学ばれました。

幼い時から、論語など中国の古典に精通され、医学書まで書いておられます。

 

この記念館には、中江藤樹先生の著書や身に着けておられた衣服などもご紹介されています。

あかぎれの薬を、お母さんのためにと、遠く大洲から戻ってこられた親孝行の逸話も残されております。

 

 


サロン近郊のスポット  神社  ~滋賀県高島市安曇川町 あどがわ~

藤樹神社 ~とうじゅじんじゃ~

 

江戸時代の近江聖人、中江藤樹を御祭神とする藤樹神社。

映画「中江藤樹」の撮影にもこの鎮守の森が紹介されています。

 

神社横の深い鎮守の森には、ご神木のダマの木があります。

伝承によると藤樹神社境内に古く万勝寺(まんしょうじ)が建てられていた。

比叡山の山門3千坊の一院として大きな勢力をもった寺院であったため、織田信長の兵火によって、焼亡したと言われています。

 

そして、中国古代の道教の影響をうけた民間信仰の庚申塔(こうしんとう)があります。

「見ざる、聞かざる、言わざる」の3匹の猿の像が彫刻されています。

 

 

 


サロン近郊のスポット  道の駅  ~滋賀県高島市安曇川町 あどがわ~

道の駅「藤樹の里あどがわ」

 

毎日、早朝に届けられる地元の農家さんの新鮮野菜や、市内で生産されためずらしい農産物、食材が所狭しと並んでいます。

 

市内特産の黒米や、そば粉、いちじく、卵、お米など人気な商品がたくさんあります。

 

京阪神からのお客さまで、毎日、にぎわっています。

隣には、コンビニ、トイレも整っているせいか、休憩される方も多いです。

 

ランチには、手軽な軽食スペースや、市内の牧場から直接仕入れられたお肉たっぷりな美味しいハンバーグ定食もおすすめです。


サロン近郊のスポット お花見 ~滋賀県高島市マキノ町~

マキノ町の海津大崎の桜

 

毎年、4月15日前後に、キラキラ光る湖面に桜の美しさが一段と映え、満開を迎えます。

京阪神からの観光客で、いつも静かな海津の町や浜が、とても賑わいます。

遊覧船から山々のふもとに連なるピンク色に染まった満開の桜を眺めるのもおすすめです。

 

サロンから、車で約25分。